企画展「表現の不自由展・その後」の中止で責められるべきは、国であり自治体である。

表現の不自由展、中止に実行委が抗議「戦後最大の検閲」

中止を決めた津田大介さんへ、「表現の不自由展・その後」実行委員会から抗議の声があがっている。
他にもSNSなどでも、続けるべきだったという意見が多く見られる。

しかし、責めるべきは、国であり自治体であり、津田大介さんではない。
そこを間違えてはいけないと思う。

意見を言う人には、今の状況を何とかしたいという強い思いがあるのだと思う。
しかし、本人や職員、観客の命の危険のある中で、責任を果たせと迫ることは、酷だと思う。

表現の自由の保障とは、表現をしても不利益を受けないことまで保障されて、初めて自由が保障される。
不利益を甘受しろ、表現をするなら命の覚悟をしろというのでは、独裁国家での民衆と何も変わらない。

表現の自由を守るために、憲法があり、統治機構がある。
国が自治体が守ってくれるという信頼があるからこそ、安心して表現行為をすることが出来る。

国や自治体が表現者を守ってくれない場合には、国や自治体に表現行為を守れと抗議することが、状況を改善する力になる。

責めるべきは、国であり自治体である。
そこを間違えてはいけないと思う。

もし津田大介さんを責めてしまうと、これから表現をする人たちは、命を失う覚悟を求められるだろう。

特に、弱い立場の人たちは、叩かれるかもしれない全ての表現行為を控えてしまうおそれがある。

それでは、表現をしようとする人がいなくなってしまう。

それは実質的には表現の自由の保障がない国になったことを意味する。

津田大介さんを責めることは、表現の自由を守るためと言いながら、表現の自由を捨てることに繋がると思う。

繰り返すが、責めるべきは、国であり自治体であり、
津田大介さんを責めることは、避けるべきだと思う。

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