離婚後共同親権について(3)

共同親権は、海外で採用されている国が多い法制度ですが、問題も多くあります。
ところが、そういう問題についてあまり議論をされずに、離婚後も父母で協力して子育てをした方が良い、海外での実例があるのだから日本でも導入を検討するという程度の認識で、法制審が進められているように思います。

共同親権導入を議論するのであれば、まず単独親権で生じる問題点を洗い出し、共同親権にすることでその問題が解決できる、という立法事実が必要になると思います。
ところが、そういう点が全くといって良いほど議論されていませんでした。
単独親権の何が問題なのかという点は皆無だったと思います。
また、単独親権よりも共同親権の方が、子どものことに関する意思決定制度として優れているという比較もありません。

共同親権が導入されている海外では、問題のある制度であると認識されています。
例えば、子どもの安全より、別居親が子どもに会いたいという主張が優先された結果、DV・児童虐待が離婚後も継続することが明らかになっています。

このため、共同養育よりも、子の安全を優先するように他国は制度を見直しています。

離婚によって、子ども、同居親が安心して生活できるようになるという点に関しては、単独親権の方が優れています。
共同親権にする必要があるならば、こういう親子が危険な目に遭うけれど、それよりももっと大きな利益があることを示す必要があります。
少なくとも、他国の実践により明らかになっている点は、当然クリアーした法制度を考える必要があります。
ところが、DVや児童虐待の実体については、真剣な議論はされませんでした。
委員が個別に取り上げても、ほとんどスルーされています。

共同親権の導入によって得られるのは、不幸な家族が増えるだけという可能性のまま進めていくのでしょうか。

面会交流についても、別居親と会うことが良いことだという前提で進んでいきます。
しかし、面会交流が良い影響をもたらす場合もあれば、悪い場合もあります。
ところが、そういう悪い面は無視して、ひたすら面会交流をするためにはどうしたら良いのかという点のみ進められています。

面会交流の問題点を無視して、暫定的な面会交流制度を導入するというのは、子どもの安全を重視するという世界の姿勢から逆行しています。
どうして、子どもや同居親の犠牲の下で、別居親のケアをする必要があるのでしょうか。

子どもは成長するにつれて、友人を作り,交友関係を深めていきます。
そのために、休日や長期休みの過ごし方は、家族よりも、友人を優先していくことが多くなります。
もし、休日や長期休みを別居親の元で過ごさなければいけないと決まってしまえば、交友関係から切り離れてしまいます。これは子どもにとってはマイナスの影響が大きいと考えられます。
共同養育は、理念的にはともかく、現実の子どもたちにとって、悪い側面があることを直視すべきだと思います。

法制審の参考資料9-3「離婚後の子の養育の在り方に関する実証的調査研究」28頁に「別居親との交流の評価を「嫌だった」と回答したのは10%前後・・・子ならずしも子どもが面会交流を望んでおらず、大人目線で物事が進んでいく可能性が示唆された」という点は、しっかり掘り下げていく必要があります。

また、海外において、別居親と過ごす時間が長いほど、養育費が減ることがあります。
つまり、共同養育により、子どものためではなく、養育費を減らすという、自分本位の目的で用いられる場合もあると問題になっています。

面会交流の促進が、本当に子どものためになるのか、きちんとした検証が必要です。

子育ては、自分の言うことを聞かない子どもに、お金も時間も心も費やすと言うことです。
子ども中心の生活になるために、同居親は、時間もお金も優先して子どものために費やします。
自分の食べ物を減らしても、子どもの学費に充てるという行為も普通に行われています。

一方で、別居親は、まず自分の生活を守ることが第一で、別居している子どもへの援助は二の次になります。
子どもが困窮状態にあると知っていても、養育費の支払いをしないという選択をすることさえ可能です。

このように、同居親と別居親では、子どもに対する労力、責任が全く違います。

この違いを見れば、同居親と別居親が、子どもに関する重要事項決定で同じ権限を持つことは公平ではありません。
一方のみ権限を有する単独親権が自然です。
この場合でも、同居親は必要があれば、主体的に協議を持ちかけることが出来ますので、何も問題ありません。

もちろん、離婚後も共同親権が可能なほど、子育てに真摯に向き合ってる家庭はあると思います。
しかし、制度としての共同親権は、子育てに真摯に向き合わない人に対しても、共同親権を強制することです。
メリットよりも、デメリットの方が遙かに大きい制度になることが想定されるのです。

問題があれば、後から制度の見直しをすれば良いという意見もあります。しかし、それは馬鹿げた議論です。

予め被害者を増やすことが分かっている制度を、被害を無くす仕組みも無しに導入すること事態が間違っています。

また、問題のある制度が導入されても、その制度の中で何とか子どものためにならないかと当事者は模索するため、問題が表に出てこない可能性があります。
同居親が面会交流に拒否的態度を取ると親権を剥奪される可能性があるというフレンドリーペアレントルールが導入された結果、性虐待する別居親との面会交流を、同居親が事実を告げて拒否することが出来なくなり、表面上はなんら問題なく面会交流が行われてしまうように。

共同親権は、抽象的には良い制度に思えますし、理想的な家族関係であれば有用に働きます。
しかし、現実には、問題が生じる可能性が高い制度です。
ところが、問題点については真剣な議論がされませんでした。

共同親権導入を検討するのであれば、現在の単独親権の問題を検討し、共同親権の方が優れているという立法事実を示すべきです。
それが出来ないのであれば,共同親権導入は白紙にもとすべきだと思います。

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