2021/5/24 千葉県ひきこもり支援センター視察
千葉県ひきこもり支援センター視察
5/24に、ひきこもりに特化した相談窓口である、千葉県ひきこもり地域支援センター(千葉市中央区)を訪問しました。
参加したのは、宮川伸衆議院議員、河内一朗鎌ケ谷市議、大和義己成田市議、新見準八街市議です
千葉県HP 千葉県ひきこもり地域支援センター
https://www.pref.chiba.lg.jp/shoufuku/hikikomori/senter.html
センターは老朽化した建物であり、雨漏りのために天井にビニールが貼ってあったりしました。
近々、新しい場所に移転するようです。
まず、センターの方や電話相談の担当の方の話を伺いました。
それから、参加議員との質疑応答がありました。
電話相談の方のお話で印象に残っているのは、まずは傾聴をすることが大事で、すぐに支援窓口を紹介するのではなく、求められた場合や、支援機関につなげた方が良いと感じた場合に支援窓口を案内するということでした。
これは、どの相談現場でも必要なことだと思います。
さて、同僚議員の質問を聞いていて少し違和感を感じたことがありました。
それは、しっかりとして相談現場があれば引き出し屋に頼ることはなかったのではないか、という問題提起がされたことでした。潤沢な予算と充実した相談体制さえあれば、すぐにベストの回答が得られ、問題解決に直結すると考えているのではないか、という点でした。
引き出し屋については、例えば下記記事参照
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/676276
『「どうすれば良かったのか‥‥」引き出し屋に頼った両親 あの日から息子は日常を奪われた 沖縄タイムス 2020年12月10日 07:12』
相談をしても、状況を聞いてすぐに処方箋が出て特効薬があるわけではないという、当たり前のことが前提とされていないような気がします。
引きこもりの原因は様々であり、また引きこもりの期間も数年という長い期間に及ぶ物があります。このような複雑な状況を把握し、解決するための糸口を見つけることは簡単ではありません。
また、家族の対応が間違っており、その困難を引き起こしていることもあるのではないかと思います。
引きこもりには詳しくないので、ギャンブル依存症の事例に関してですが、家族の間違った対応の一つに、ギャンブルによる借金を、家族が返済してしまうことがあります。
借金が清算されれば、当事者は反省して立ち直ると考えがちです。
しかし、逆の結果を招くことがあります。
当事者は、これくらいは大丈夫なのだと安心してギャンブルにのめり込むことがあるのです。そして、以前と同じように借金を抱え、借金を重ねるため交友関係も破綻し、さらに支援してくれない家族を憎む場合もあります。また家族も支援を繰り返すことで蓄えが底をつき、問題が発覚した当初より状況が悪化することがあります。
引きこもりも、同じようなことがあるのではないかと思います。
本人も状況を改善したいと思いながらも、ズルズルと現状のままでいる。
何らかのきっかけがあったときに、初めて差し伸べられた手をつかむ力が出る。
そのきっかけがないときは、家族がどんなに問題改善を望んでいても、本人にとっては重荷になるだけではないかと思います。
引き出し屋の利用は、その最たるものです。
さて、相談現場は、多くの場合、自分たちだけでは状況を改善させる力はありません。
相談は、状況を改善するためのきっかけを提供する場でに過ぎないのです。
そのため、相談の現場では、当事者の話を聞き、信頼関係を築くを重視します。
時間をかけ、問題改善のきっかけとなるところがないか模索するのです。
それが問題改善の出発点となるためです。
また相談現場でできることは、既存の制度の枠組みに限られます。
既存の制度で出来ないこと以上に、相談現場での対応を求められても、それは無理というものです。
ところが、相談する方には、即時に対応できる処方箋を求める方もいます。
また、既存の制度以上の対応を望み、それが得られないと、相談現場はダメだと感じてしまいます。
このような、相談をする側とされる側の意識のミスマッチが、相談現場の評価を下げているのではないかと思います。
そして、執行部や政治家は、どちらかというと相談する側の論理で考えがちではないでしょうか。
相談現場が抱える背景に単なる交通整理の価値しか認めず、評価が低いということがあるのではないかという感じがしました。
相談現場で出来ることは何なのか。
それ以外に必要な対策は何なのか。
もっと広い視点で考えることが必要なのではないかと思います。
必要なのは相談現場の改善ではなく、充実した支援体制の構築です。
また本人だけでなく、家族の支援も不可欠です。
家族には家族の人生があるのですから、家族が犠牲になる必要はありません。ここにも公的支援が必要です。
引きこもりが起こりにくい社会、または引きこもりが許容される社会の構築だと思います。
当事者そしてその家族の支援体制の充実を目指して頑張って参ります。