渋谷区の、公衆トイレから女性トイレがなくなったという問題について
渋谷区の公衆トイレから、女性トイレがなくなって、バリアフリートイレに変わったという問題がクローズアップされています。
問題だと思うのは、このトイレ問題って、バリアフリー化と女性との対立という問題提起がされています。
しかし、明らかな男性優遇が問題なのですから、その視点から捉えるべきだと思います。
ところが、報道を見ていると、その指摘があまりされてませんね。
“女性トイレがなくなった”!?何があったか調べてみました
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230315/k10014007101000.html
この記事中で、渋谷区 公園課長が
「男性用の小便器を別に設けたのは、共用トイレを効率よく使ってもらえるようにするためです」
と言ってしまうのは、問題の所在に気が付いていないからだと思います。
女性専用であれば女性だけが使えた。
ところが、今度は男性も同じトイレを使うようになった。
これは女性にとって非効率です。
更に、男女共用になることで、身の危険も格段に上がります。
女性にとっては、明らかに不合理です。
「男性用の小便器」を設置することで最も利益を得るのは、男性です。
ところがそれに言及せず、男性の共用トイレ利用が減ることで、共用トイレの効率性が上がるということを設置理由にしています。
これは、男性が優位な思考が染みついており、男性特権が希薄化されているからに他なりません。
男性の効率性は維持された。
女性にとっては非効率であり、不合理な扱いになった。
この女性目線が無視されています。
この点を踏まえて渋谷区 公園課長の発言をみると
「男性にとっての効率性を考えました。女性にとって非効率?身の危険が増える? それが何か?」
くらいの酷い内容のなんですよね。
男性目線から物事を考えることが無意識レベルまですり込まれているので、こうなってしまうのだと思います。
効率を言うならば、女性の効率を上げるために、男性小便器設置のスペースを使って、女性専用トイレを設けるという選択肢もあります。
でも、それをすると、女性優遇だ、男性差別だと言われるような気がします。
男性の小便器設置は、効率化で正当化されるのに不思議ですよね。
そもそも、トイレに関しては、面積比などの形式的平等ではなく、待ち時間を含めて実際にトイレを使用する時間が平等になる実質的平等を目指さないと、意味がないと思います。
男性が、小便器を設けることで効率性を高めるなら、女性トイレは数を増やして対応する必要がある。
ところが男女のトイレは、同じ面積比で作られることが多いため、女性だけ待ち時間が長く不便を強いられながらも、平等だから仕方ないと思わされている。
ここに思い至らないと、今の社会が男性優遇で作られている事に気が付かないんじゃないのかな。
男性にとって当たり前のことや、効率的で良いと思うことの裏に、不遇を強いられている人たちの存在があるという点に思いをはせることが大切だと思います。
以上は、男女の問題でした。
それから、障がい者や介護が必要な方にとって、
・男女別+誰でもトイレ
・全て共用トイレ
と比べた場合に、どちらのトイレが利用しやすいのでしょうか。
誰でもトイレはかなり広いスペースでしたが、全て共用になると、スペースが限られてしまうと思います。
すると今までよりも使い勝手が悪くなると考えられます。
また、どんなに並んでいても、必要な方への譲り合いがされ、優先的に利用が出来るような社会であれば良いのですが、車椅子がなかなかエレベーターに乗れない状況を見ると、難しいような気もします。
バリアフリートイレを唄うならば、この視点も大事だと思うのです。
ただ、私は、このあたりの知識が欠けているので、ご存じの方がいれば教えて頂きたいと思います。